教室で20年 看板猫を務めたヨシダ
昨年引退し自宅で悠々暮らしています
人間でいうと90代になるそう
夜中の3時に 小腹が空いたと 飼い主の顔に肉球を乗せる
トイレの砂を掃除する様子をじっと観ていて
すっかりきれいになったところで おもむろに用事を済ませる
昨日の残りのドライフードは 風味に欠ける と食べない
教室の机の上の みんなが話題にしている絵本の上に寝そべる
呼べば 向こうへ行ってしまう 猫の話題になると 寄ってくる・・・
こちらから観ると好き勝手をしているように見えますが
猫アレルギーのあるひとにさえ好かれる
それがヨシダ翁です
晩年 孔子は
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず
(七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)
と人生を振り返ったそうですが
翁は 我が家にもらわれてきたときから
ずっと 思うままに生き そして愛されてきました
彼には私心というものが無い
ただ猫の本能のままに 自然の姿で生きている
だから 愛されるということに気づきました
ヨシダ翁のように
思うままに生きて 人の道に外れることが無いように
それがこの教室の究極の目指すところかもしれません
教室で20年 看板猫を務めたヨシダ
昨年引退し自宅で悠々暮らしています
人間でいうと90代になるそう
夜中の3時に 小腹が空いたと 飼い主の顔に肉球を乗せる
トイレの砂を掃除する様子をじっと観ていて
すっかりきれいになったところで おもむろに用事を済ませる
昨日の残りのドライフードは 風味に欠ける と食べない
教室の机の上の みんなが話題にしている絵本の上に寝そべる
呼べば 向こうへ行ってしまう 猫の話題になると 寄ってくる・・・
こちらから観ると好き勝手をしているように見えますが
猫アレルギーのあるひとにさえ好かれる
それがヨシダ翁です
晩年 孔子は
七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず
(七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)
と人生を振り返ったそうですが
翁は 我が家にもらわれてきたときから
ずっと 思うままに生き そして愛されてきました
彼には私心というものが無い
ただ猫の本能のままに 自然の姿で生きている
だから 愛されるということに気づきました
ヨシダ翁のように
思うままに生きて 人の道に外れることが無いように
それがこの教室の究極の目指すところかもしれません